安川加壽子のプロフィールについて
PROFILE
プロフィール
PROFILE
『本場の音』を伝え広め、
戦後音楽界を牽引
撮影/大竹省二
Photographer, Shoji Otake
安川加壽子(やすかわかずこ/1922〜1996)は、1歳より戦前のパリで成長、15歳でパリ音楽院を卒業しヨーロッパで演奏、戦後は長きにわたり日本を代表する名ピアニストとして全国各地で演奏活動を行いました。
また東京藝大をはじめとする教育活動で数多くの後進を育成するとともに、クラシック音楽界の中心的存在としてコンクールや音楽団体を牽引し、生涯にわたり音楽界の発展に尽力しました。
レジオン・ドヌール勲章、フランス芸術文化勲章、ポーランド国家功労金章、勲二等瑞宝章、日本芸術院賞、NHK放送文化賞、東京都文化賞など数多くを受けました。
文化功労者、日本芸術院会員、日本演奏連盟理事長、日本ピアノ教育連盟会長・理事長、日本ショパン協会会長、日本国際音楽コンクール運営委員長・審査員、日本音楽コンクール委員長・審査員、東京藝術大学名誉教授、桐朋学園大学客員名誉教授、大阪音楽大学客員教授ほか多数を務めました。
パリ生活時代の空気
1歳/渡仏時のパスポート写真
8歳/発表会を終えて
15歳/パリ音楽院卒業のころ
安川(当時:草間)加壽子が1歳で移住した1920年代のパリは、第一次世界大戦終結の解放感が噴出した「狂騒(狂乱)の時代」といわれる。
ラヴェルやストラヴィンスキーが活躍し、巷では初期のジャズなどが流行していた。安川加壽子が終生好んだモネも晩年を生き、エコール・ド・パリの画家たちがたむろするモンパルナスには、後年安川加壽子が少女のリトグラフを貰った藤田嗣治もいた。一方でシュール・レアリスムやアール・デコなどモダン芸術も誕生している・・。
これら新旧の創造エネルギーのカオスとなったパリの空気のなかに育った安川加壽子は、この時代について「小さかったので後で分かったのですが、六人組やジャン・コクトー、ピカソだとかロシアン・バレエが出て来るし、あらゆる変化の多い、非常に面白い時代だったんです」と後年のラジオ番組で述べている。
恩師レヴィやコルトー、カサドシュはじめ、パリを訪れるフルトヴェングラー、トスカニーニ、ワルター、パデレフスキ、ホロヴィッツ、ラフマニノフ、フィッシャーなどの生演奏を聴き、胸躍らせた少女時代だった。
一方、外交官家庭の草間(安川)家にははるばる日本から来た賓客が次々と訪れた。一人っ子であった安川加壽子は、幼時からルーヴル美術館やヴェルサイユ宮殿などの見物案内に連れられ、「幾十回になるか数知れぬほど」回った。ルーヴル美術館では広い館内の展示位置からガイドの台詞まで「一部始終全部おぼえちゃっていたくらい」であったという。
詳細プロフィール
30歳
エリザベート王妃国際コンクール審査
(1987年/前列中央)
59歳ころ
安川加壽子(やすかわかずこ/ピアニスト)
1922年2月24日、日本に生まれる(旧姓:草間)。翌1923年外交官の父の赴任地パリへ母と移住。渡仏する船上ですでにピアノに興味を示した。1歳よりのパリ生活でフランス語ネイティヴに育つが、家庭での日本語会話により生涯日本語の訛りもなく、完全なバイリンガル音感となる。また1920年代「狂騒の時代」の爛熟した空気を吸収するとともに、賓客のルーヴル美術館、ヴェルサイユ宮殿案内などに数多く連れられ、美的な感性の基礎が育まれる稀有な幼少期を送る。少女時代よりワルター、フルトヴェングラー、パデレフスキ、ホロヴィッツ、ラフマニノフなど多くの生演奏を味わった。
3歳でピアノ・レッスンを開始し、1932年10歳で巨匠ラザール・レヴィの指導を受けてパリ国立高等音楽院予備科に入学、12歳で同本科に入学し正式にレヴィに師事した。1937年15歳でプルミエ・プリを得て卒業し(ヴァイオリンのシェリング、チェロのフラショーも同期)、引き続きレヴィに指導を受ける。同年秋に当時数少なかったコンクールの一つ第1回パリ国際婦人音楽コンクールで名誉賞を得て(優勝)、15歳でパリの初ステージを踏んだ。フランス、ドイツ、スペインなどヨーロッパ各地で独奏、オーケストラとの共演、室内楽などの演奏活動を行った。
1937年卒業後、演奏活動とともに音楽院のジャン・ギャロン和声法クラスに在籍する。メシアンやデュティユーなどクラス出身の作曲家も顔を出し、ピエール・サンカンやジュヌヴィエーヴ・ジョワなどの同級生に囲まれるなか高度な音楽教養を学んでいたが、第二次大戦勃発により帰国勧告を受けた。
1939年暮れ17歳で帰国、翌年2月のNHKラジオ放送などで日本での演奏活動を開始し(当時は「草間加壽子」)、卓抜な技巧と色彩感溢れる演奏、優美なステージマナーで一世を風靡した。「天才少女」などと盛んに紹介され、人気・実力ともたちまち日本のトップ・ピアニストに躍り出ることとなった。
以来日本を代表するピアニストとして、ショパンや近代フランス音楽を本格的に広めたほか(多くのフランス近代作品を日本初演)、ドイツ音楽や現代音楽、多くの日本人作曲家の創作など幅広いレパートリーで活躍。全国各地のリサイタルやオーケストラ、数々の名指揮者との共演を行い、また一貫して室内楽にも取り組んで、外来及び日本人奏者との共演を続ける。テレビには創生期より多数の放送に出演した。
1944年国文学者・安川定男と結婚し安川姓となる。不幸な戦争体験を経て、24歳で講師、30歳で教授となった東京藝大を始めとする日常的教育や自宅での個人指導、家庭生活では3人の子育てで多忙を極めるなか、1950年代後半より全国公演数が頂点に達するなど、戦後日本の成長期に粉骨砕身の尽力を続けた。
当時の日本人で数少ない第一線のロング・ラン活動となり、50歳代で大家(たいか)、大御所と呼ばれた。多くの経験を重ね人間性、音楽性が豊かな成熟を見せるなか、1978年にリウマチを発症し徐々に進行、1983年にはリサイタル中に指の腱が断裂し、ついに演奏活動停止に追い込まれた。
その後も体調悪化のなか1996年74歳の急逝まで、教育活動やエリザベート王妃国際音楽コンクール、ショパン国際ピアノコンクールを始めとした世界的なコンクールおよび国内のコンクールの審査、様々な振興団体活動でクラシック音楽界を導いた。
芸術祭文部大臣賞、毎日音楽賞、フランス教育功労勲章、同芸術文化勲章、同レジオン・ドヌール勲章、NHK放送文化賞、毎日芸術賞、日本芸術院賞、ポーランド国家功労金章、東京都文化賞、N響有馬賞、勲二等瑞宝章、文化功労者顕彰、フランス教育功労勲章(コマンドール)ほかを受ける。
日本芸術院会員、芸術家会議会長、日本演奏連盟理事長、日本ピアノ教育連盟会長・理事長、日仏音楽協会会長、フランス語教育振興協会理事長、日本ショパン協会会長、日本フォーレ協会会長、日本国際音楽コンクール運営委員長・審査員、日本音楽コンクール委員長・審査員、NHK交響楽団評議員、ABC音楽振興財団審査員長、ほか多数を務めた。
東京藝術大学名誉教授、桐朋学園大学客員名誉教授、大阪音楽大学客員教授。
受賞・受章歴
| 1947年 | 芸術祭文部大臣賞 |
|---|---|
| 1951年 | 第3回毎日音楽賞 |
| 1959年 | フランス政府教育功労勲章シュヴァリエ章 |
| 1960年 | フランス政府芸術文化勲章オフィシエ章 |
| 1967年 | フランス政府レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ章 |
| 1970年 | 第21回NHK放送文化賞 |
| 1972年 | 第13回毎日芸術賞 |
| 1975年 | 第31回日本芸術院賞 |
| 1984年 | ポーランド国家功労金章 |
| 1986年 | 第2回東京都文化賞、第6回NHK交響楽団有馬賞 |
| 1993年 | 勲二等瑞宝章 |
| 1994年 | 文化功労者顕彰 |
| 1996年 | フランス政府教育功労勲章コマンドール章 |
国際コンクール審査歴
| 1971年 | ロン=ティボー国際音楽コンクール(副審査員長) |
|---|---|
| 1973年 | ジュネーヴ国際音楽コンクール |
| 1975年 | エリザベート王妃国際音楽コンクール |
| 1976年 | ハエン国際音楽コンクール |
| 1977年 | クリーブランド国際音楽コンクール、ロベール・カサドシュ国際ピアノコンクール |
| 1978年 | エリザベート王妃国際音楽コンクール |
| 1980年 | ショパン国際ピアノコンクール、日本国際音楽コンクール(運営委員および審査員) |
| 1981年 | ロン=ティボー国際音楽コンクール |
| 1982年 | サンタンデール国際ピアノコンクール |
| 1983年 | 日本国際音楽コンクール(運営委員および審査員) |
| 1985年 | シドニー国際ピアノコンクール、クリーブランド国際音楽コンクール |
| 1987年 | エリザベート王妃国際音楽コンクール |
| 1988年 | モントリオール国際音楽コンクール |
| 1990年 | ショパン国際ピアノコンクール(病欠) |
| 1991年 | エリザベート王妃国際音楽コンクール、ロベール・カサドシュ国際ピアノコンクール(病欠)、第1回浜松国際ピアノコンクール(運営委員および審査員長) |
役職歴
日本芸術院会員
芸術家会議会長
日本演奏連盟理事長
日本ピアノ教育連盟会長・理事長
日仏音楽協会会長
フランス語教育振興協会理事長
日本ショパン協会会長
日本フォーレ協会会長
日本国際音楽コンクール運営委員長・審査員
日本音楽コンクール委員長・審査員
NHK交響楽団評議員
日本フィルハーモニー交響楽団理事
ABC音楽振興財団審査員長
シンフォニーホール賞委員
日本芸術文化振興財団委員
芸術研究振興財団理事
三菱文化振興財団理事
日本ユニセフ協会評議員
東京文化会館運営審議会委員
東京芸術劇場運営審議会委員
東京藝術大学名誉教授
桐朋学園大学客員名誉教授
大阪音楽大学客員教授